賀川豊彦は日本の協同組合運動の父と言われますが、同時に平和運動にも尽力した人物です。昭和10(1935)年、賀川はアメリカ政府から、ニューディール政策の一環として、全米各地に協同組合運動を広めてほしいとの依頼を受けました。昭和16(1941)年には、総理大臣・近衛文麿(このえ・あやまろ)から密命を受け、日米開戦を回避するために、再びルーズベルト大統領に会いに渡米しますが、日本軍による南部仏印進駐が開始され、この会談は中止となり、同年太平洋戦争がはじまりました。
第二次世界大戦後、賀川は原爆投下の悲劇を招いた日米開戦を防げなかったことを悔い、平和運動に邁進します。やがて「世界連邦建設同盟」の副総裁に就任します。総裁は憲政の父・尾崎行雄でした。物理学者アインシュタイン博士の提唱から「世界国家」の考えが世界へ広がり、日本では「世界連邦運動」として盛り上がりを見せました。
やがて昭和23(1948)年8月、賀川は英国議会の議長から、国会内に世界連邦議員グループを作るようにとの要請を受け、さっそく衆議院議長・松岡駒吉を説得して議員連盟の発足を推進、昭和24(1949)年12月に「世界連邦日本国会委員会」が結成されます。入会した国会議員は104名にのぼり、賀川は顧問に就任しました。他の顧問は、吉田茂、幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)などそうそうたる顔ぶれでした。
本講座では、世界平和のために尽力した賀川についてお話しさせて頂きます。
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